2018/11/24 18:19

「下野の三毳の山の小楢のす まくはし子呂は誰か笥か持たむ」とは、万葉集東歌に詠まれた歌ですが、 この三毳山近くに素朴な焼き物を伝える「みかも焼小楢窯」があります。

【歴史と概要】

三毳山周辺では、1200年前の平安時代から、下野の国の国分寺や国分尼寺の屋根瓦を焼いていた歴史があります。第二次大戦前までは、かめの他に獅子噛火鉢、ほうろく、植木鉢などの土器の製作が盛んでした。 みかも焼創始者の川原井文次郎は、家業の土器製品製作に従事し、大戦前の13歳の頃には売れる製品を作っていました。大戦後、政府による食料増産のための農地拡張政策に伴い、三毳地方の土器製造メーカーは、水田用の暗渠土管製作に事業の主力が移っていきました。この時期は。土管の町として栄えた時代でした。 そんな中、文次郎は土管製造業の将来に先細りを感じ、まだ好調だった土管製作に見切りをつける決心をし、昭和46年(1971年)三毳焼小楢窯を設立しました。その後、「原爆の図」で知られる丸木夫妻と出会い、北海道・大阪などで合同展示会を開催し、三毳焼の名前が一般に認められるきっかけとなりました。それ以降、栃木駅前商工会議所をはじめとする各所で展示即売会を開催、少しづつその存在を広めていきました。

【栃木県伝統工芸品指定】

平成18年栃木県伝統工芸品に指定され、2代目の川原井文雄が伝統工芸士となりました。